Clear Consideration(大学職員の教育分析)

大学職員が大学教育、高等教育政策について自身の視点で分析します

東北大学PDプログラム「大学カリキュラムの構造と編成原理」に参加しました

high190です。
参加してからだいぶ日にちが空いてしまいましたが、4月29日に東北大学川内キャンパスにて開催された標記セミナーの参加記録を掲載します。以下の記録はhigh190が聴講した際に記録としてメモした内容になりますので、主観が入っていること、内容に誤りが含まれる可能性があることを予めご了承いただければと存じます。なお、当日の講演記録は東北大学PDP ONLINEで公開されていますので、併せてご確認下さい。*1


開会挨拶 東北大学大学教育支援センター長 羽田 貴史 教授

  • 大学におけるカリキュラム改革の議論の中で、教学マネジメントの重要性が指摘されているが、ナンバリング、クオーター制などの小道具を取り入れても、なかなかうまくいかない。やはり学生が学ぶ上でのカリキュラム設計・全体的な視点を持たないと小道具も生きてこない。その点で教養科目がコアになってくる。教養教育の歴史から現状までを吉田先生にお話いただく。カリキュラム改革を考える原理を是非学んでいっていただきたい。

「大学カリキュラムの構造と編成原理」早稲田大学教育・総合科学学術院 吉田 文 教授*2

  • はじめに
    • まず、アメリカの大学における教養教育の歴史的展開。
    • 日本の高等教育を考える上でアメリカはキーになる。日本の戦後教育でもアメリカ型教育はモデルになっている。
  • カリキュラムとは何か?
    • 初等中等教育では学習指導要領が定められている。理念・内容・方法について、大学カリキュラムは各大学の理念などを踏まえて編成することが必要とある。
    • 定義:教育の目的にしたがった内容・方法の順序・完了に関する計画(それを実施する組織構造=学習活動・経験の総体)※明示的なカリキュラム
    • hidden curriculum 受容する学生側の視点も必要:意図的ではなく、何らかの学習経験を積ませるためのもの ※この視点が非常に重要

1.リベラル・アーツの理念

  • 古典古代(ギリシア、ローマ)
  • 理念:自由市民をwell-rounded character,educated manに(理念的にはほとんど現在でも変わっていない)支配者たる自由市民は「欠けるところの無い総体」であるwell-roundedな人材を育てるのがリベラルアーツ。リベラル・アーツを受けた人間は、educatedとは人格特性、支配層として必要とされてきた。
  • 当時の学問大系を「欠けるところなく」教えるのがリベラルアーツ
    • 内容:自由七科(文法学・修辞学・論理学(弁証法)と算術・幾何学天文学・音楽)であった。当時の社会における全ての学問。文理を分けない。
  • ヨーロッパ中世の大学
    • 医・法・神学部の前段階の学芸学部、哲学部で自由七科、パリからオックスフォード、ケンブリッジ。当時はイスラム社会の方が学問的に進んでいた。地中海に大学が創られていき、後進国であったパリ・イギリス(オックスブリッジ)に引き継がれていく。※幅広い教育による人格形成、紳士養成という理念の継承
  • アメリカ植民地カレッジ

2.アメリカの植民地カレッジ

  • ハーバード・カレッジのカリキュラム
  • prescribed curriculum(選択がない必修のみ)聖職者の養成、少年の訓練
    • 午前中は暗唱、午後は討議。
    • 宿題が必ず課されていた。月・木:哲学、水:ギリシア語、火:ヘブライ語、金:修辞学、土:教理問答

3.古典語と近代科学の対立

  • 古典語中心のカリキュラムへの批判:近代科学、近代言語、学問の多様化
  • 3年制、not B.A.butB.S./B.P.(Bachelor of Science,Philosophy)
  • 礼拝時にリベラル・アーツの学生と同席不可 ※近代科学はリベラル・アーツより劣るものと考えられていた

4.自由選択制と配分必修制

  • 1869:エリオット(ハーバード大学学長)※40年近く学長を務める
    • 自由選択制(electives)の導入 多くの科目を開講して学生が選択履修*4
    • デパートメント制、ナンバリング、学年制➡履修制(こっちの方がうまく機能すると考えた)
      • ※実はうまく機能しなかった。学生はそこまで大人ではなかった
      • ※好きなものだけつまみ食い、体系的な学習にならない(ラーニング・アウトカムズの概念?)
  • 1909:ローウェル(エリオットの次の学長)
    • エリオットの改革の見直し
    • 配分履修制(distribution requirement)という発明(科目のカテゴリー、枠を決めておくという考え方、履修の範囲・順序を決めて、一定の自由度を持たせる)
      • general education vs. major = breadth vs. depth = distribution vs. concentration
      • カーネギー・ユニット*5
      • 単位制による授業科目の互換や累積加算が可能(いわゆる単位制、時間によって履修内容を交換できる。現在の単位制度の原型)学習時間による履修科目の交換可能制を担保する、併せて科目間のモジュール化が可能になった。"Credit transfer"

5.大学と一般教育(general education)

  • 専門教育が大学の中心、職業教育の台頭
    • リベラル・アーツは一般教育へ
  • 19c:カレッジから大学(university)へ
    • 1862:モリル法によるランド・グラント大学(連邦政府の土地を州政府に供与、州立大学、A&M*6テキサスA&M大学などはその名残
    • 一般教育はアメリカの特徴、ヨーロッパは一般教育を後期中等教育に落としていくが、アメリカでは前期2年・後期2年の課程を構築。※唯一の例外
  • 【学士課程と一般教育】
    • 学士課程:一般教育+専攻(major)+自由選択
    • 必修と選択、単位制とモジュール
  • 【組織】
    • デパートメント制、専攻・学位の責任単位(学科としての組織、現在に至る前の基本構造)
  • アメリカは西に行くほど州立大学が発展している。(フロンティア)東部はリベラル・アーツ、西部は職業教育という対比

6.幅広さと一貫性(breadth & coherence

  • 【一般教育の提供方法】
    • 学士課程は文理学部が中心(研究大学においては)
    • 多数のデパートメント
    • 専攻の科目の初級段階が一般教育の単位として履修可(g.e.科目として開講されているわけではない)
      • 多数の科目が羅列される、g.e.への責任は不明確
  • 【一般教育の履修方法】
    • 入学時に専門は未決定(まず文理学部に入る。3年時にメジャーが決まる)
      • ※日本でも少数の大学(東京大学の進学振り分け)が取り入れているが、多くは専門が決まっている。
    • 2年間で一般教育を履修しつつ、専攻を決定
    • 多数の科目から系統だって履修する事は容易ではない
      • 幅広さと一貫性(breadth & coherence)とどう両立させるか(必ず繰り返される議論)
      • デパートメント毎の戦略がある。アメリカの場合、学生数によって学科がスクラップアンドビルドされるので、科目の羅列になる。ここに権限をもってメスを入れる事はアメリカの大学でも困難

7.一般教育への批判と回復

  • 1920〜30’s:WWE後の一般教育運動
  • 1945〜50’s:WWE後の一般教育運動
    • 民主時代の市民の育成、政治的役割の強調
    • ハーバード大学のGeneral Education in a Free Society:
  • 1980〜90’s:マルチ・カルチュラリズム
    • canon批判(Dead White European Male)➡アメリカの多様性に反する理念ではないか、という批判
  • 多様な民族、多様な世界への視野の拡大(理念としては生きている)

8.戦後日本への導入

  • 1府県1大学:専門学部生による高等教育機関と準高等教育機関との統合(大学と旧制高校師範学校)※国立大学の例、単位制の導入
  • 4年制大学における2年間の一般教育(cf.アメリカ教育使節団の勧告)、単位制の導入
  • 【どの組織・教員が一般教育を担うか】:旧制高校文理学部)と師範学校(学芸学部)➡組織的な分断
    • リベラル・アーツ(全人の育成、非職業教育)への理解不足:低度の教育、全学部共通(12単位×3領域(配分必修制)+外国語+保健体育=48単位)
      • ※日本の大学が一般教育を誤解した結果
      • ※保健体育が入ったのは結核に対する意見(120単位に修められず、124単位になった。これは今でも引き継がれている)
      • ※不幸な出発。アメリカで文理学部のみに適用されていた一般教育を全学部に適用してしまった問題

9.マス化と教養部

  • <国立>
    • 1963:国立大学教養部の法制化(4年間で32大学)
    • 1964:国立大学の学科及び課程並びに講座及び科目に関する省令
      • ※一般教育の責任の所在の明確化、学部と異なる教養部➡教員身分の固定化(設置基準大綱化に繋がる)
      • ※文部省:第一次ベビーブーム世代とマス化の吸収装置(教養部と学部の学生増加に対する教員配置の違い)教養部法制化の裏には、増加する大学入学者数に対応して、半強制的に作らされた。(埼玉大学教養学部の歴史を参照*7*8
  • <私立>
    • 拡大期の非常勤依存(一般教育>学部)、見えない差別(一般教育と専門教育での専任比率に大きな差があった)
    • 高度経済成長期を踏まえて私学が拡大していく。
      • ※廉価な一般教育(その反面、このことによって日本の大学は数字上、大きく発展したとも言える)

10.教養部改革とその頓挫

11.大綱化と教養教育

  • <大綱化によって>
    • 大学設置基準上の「一般教育」の廃止
    • 教員間の差別の解消、全学出動体制
    • 教養教育・共通教育・全学教育…前専門の幅広い学習
  • <その後の変容>
    • 理念としての能力の涵養
      • 学習成果への要請とのかかわり
    • スキル化とリメディアル化の進行
      • 大学教育の準備教育の必要性(初年次、ICT、キャリアなど)
    • 組織統合する大学の登場
      • 集約によるコスト削減?(地方国立大学によく見られる)※これらを検討する可能性

12.日米の大学における類似点と差異点

  • 教養の獲得が理念的には言われるが、定義は多義的になっている
  • 学問が職業との結びつきを持っているものは、リベラル・アーツではない
    • プロフェッショナル・スクールがある分野はリベラル・アーツではない?
    • 職業との接続性を踏まえた議論
    • 配分必修制は、アメリカから取り入れられた概念。
    • 教員・学生にも一般教育を行うインセンティブがない
    • 一般教育は不要・不可欠の議論が混在し、カリキュラム上での位置づけをどのように考えていくかは、あまり議論されてこなかった
      • ※一般教育・教養教育をカリキュラム上、どのように位置づけるか

質疑応答

  • 社会学部で教務主任をしており、カリキュラム改革を担当している。大学カリキュラムの構造に関して、日本の大学におけるカリキュラム編成原理は語られなかった。まだ見えていないという批判も含まれているが、今後の方向性などをお聴かせいただきたい。
    • 日本の大学はある意味、非常に自由化している。設置基準大綱化以降は自由化してしまっていて、何がメインな形であるかはよく分かっていない。大綱化移行、教養教育の比率は下がったが、2000年ぐらいで下げ止まったように思う。一般教育・教養教育をテコ入れした大学もある。全学的なカリキュラムを作って、何をどのように組み合わせていくかという点で、各大学なりの考え方をもって編成している。非常に多様化しているが、今後どうなっていくかを考える時にコスト削減を踏まえつつ、他大学の実例を紹介いただくとよいのではないか。
  • 例えば、一般教育担当部局と、学部・研究科との協議が行われる体制は構築されてきているのか、それとも分断したままなのか。そういったコミュニケーションは取れているのか。また教養が混沌とした中で教員もよく理解できていない状況化で、学生にとっても「何のためにやるのか」が出てくる。その点で教員に意見がぶつけられてくる。
    • 国立大学の場合、教養部解体の後に○○センターができているが、学部間の壁を乗り越えるまでには至っていないのでは。専門学部の教員としては、早く専門科目を教えたいと思う。その擦り合わせは簡単ではない。アメリカの大学の場合、専攻毎に先修条件を設定している。そして人気の高い専攻にいこうと思えば一定の学修量と選抜が求められてくる。日本のように入学時点に専門が決まっているところと異なる点。
  • 大綱化以降の教養教育、スキル化の現状などを歴史を踏まえつつ個人的な意見はどのようなものを持っているか。
    • 大学進学率が5割を超えている中で、スキル化の議論が出てくるのは必要不可欠なのではないか。具体的には英語教育である。しかし、第二外国語を必修にしている大学は非常に少ない。また英語ではオーラル重視であるが、第二外国語をやらないことで、得られる知識が矮小化してしまう。スキルの修得には役立つが、社会・文化などのいわゆる「教養」を得られる機会を喪失するなどの影響も反面存在している。
  • リベラル・アーツの日本における定義は?学生の多寡で議論される面が無いか。
    • アメリカでも多義的な使い方をしている。学問体系としてリベラル・アーツではないが、リベラル・アーツ的な理念を組み込んで専門教育を教えるという言い方は、アメリカでもよくなされる。
  • カリキュラム改革に関して、日本学術会議の報告書などで指摘されているが、内容を中立的に、内容よりも結果という感じがある。幅広さは多少妥協して結果を求めることが大学としての方針を立てる事は望ましいのか?
    • ラーニングアウトカムズ、学士力や社会人基礎力に代表される"○○力"が設定され、そのパーセンテージを測ることは困難。個人が持っている力がどの程度伸びたかをどう見るか。例えば批判的思考力はインプットとアウトプットがイコールになるのだろうか。専門科目を並べただけでも能力が身に付けばそれでいい、という議論にもなりかねない。学問大系としての知識を教えること、その反面、スキルを活かすことを検討すべきでは。
  • 看護学部で教員をしているが、看護師に対する社会的要請は高まっていて、必要とされる能力を修得するためにカリキュラム化するとそれだけで相当数の単位数になってしまう。逆に大学が集中すべき領域を設定していくことも必要ではないかと考えるが、その点についてのコメントをいただきたい。
    • 今求められているのは、○○力(何かをやれば到達する力)と言われているが、文章を書く能力、ライティングスキルは基礎科目であるが、その改革に関してacross the curriculumという制度が80年代などにはあった。何単位必修ということではなく、教員毎に課題を課す事で専門毎に教員の指導(ティーチング・メソッド)を受けられるようにする方法もある。
  • 学士課程答申以後、学士課程での到達目標などで大学教育改革の中で、答申で言われている内容に関して、専門教育と教養教育のいずれを重視するかということなのか。
    • 答申では専門・教養という意見ではなく、どちらかというと学士号の位置づけを明確化する、4年間のシーケンスを明らかにすることが重要。日本学術会議が作っている参照基準は、学問分野毎に身につけるべき能力を提示している。日本ではシーケンスに対する議論をしてこなかったのだと思うので、その点に関してフォーカスしていくべきではないか。
    • OECDコンピテンシーに関して。中教審答申で決定するものは政策的な意見であるが、認知科学の知見が無いままに。カリキュラム自体が学者の専門性に依存した形になってきている。教養部が教育の内容面を議論することができるのが、アメリカの良い部分。教養の無い教員には教養教育はできない。*9

カリキュラムを巡る最近の議論としては、教学マネジメントの重要性が指摘され、あわせて高大接続改革でも3つのポリシーに基づくカリキュラム編成が求められるようになるなど、履修主義から修得主義への移行が進んできているように感じます。2016年3月に公表された3つのポリシーの策定・運用に関するガイドライン*10では、「学生の教育に関わる全ての教職員が三つのポリシーを共通理解し,連携して質の高い教育に取り組むことができるようにすることが重要」とした上で「教学マネジメントに関わる専門的職員の職務の確立・育成・配置」が必要という指摘もなされています。その他、学修成果のアセスメントなども今日の教学マネジメントで話題になる点です。*11
しかしながら、今回のセミナーに参加して気づいたことは、カリキュラムに関わる議論を理解するためには、そもそも大学がこれまで歩んできた歴史も踏まえた視点が必要であるということです。歴史を理解し、実際に教えられる内容にまで理解が及ばないとカリキュラムの全体像を理解することは困難だということですね。職員としてカリキュラムに関わるために、様々な知識を得ていくことが重要なのだと感じました。それにしても高度な内容の連続。私自身勉強になりましたが、この内容を消化するためにはまだまだ勉強が足りないことを痛感したセミナーでした。

*1:大学カリキュラムの構造と編成原理 http://www.ihe.tohoku.ac.jp/CPD/PDPonline/archive/detail.php?id=50

*2:http://researchmap.jp/read0179375/

*3:アンテベラム期のアメリカ高等教育史におけるイェール報告の位置 : トマス・クラップのカレッジ・カリキュラム論との比較を通して https://ci.nii.ac.jp/naid/120005464940

*4:20世紀前半におけるハーバード大学のカリキュラムの変遷−自由選択科目制から集中-配分方式へ−(福留2015) http://goo.gl/jvv6rs

*5:The Carnegie Unit: A Century-Old Standard in a Changing Education Landscape http://www.carnegiefoundation.org/resources/publications/carnegie-unit/

*6:ランド・グラント大学についての論文。参考になると思います。 「大学の地域にとっての有用性 : モリル法の制定とランドグラント大学としてのパデュー大学に関する考察」http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/handle/10466/11005

*7:教養部の形成と解体-教員の配属の視点から- http://www.zam.go.jp/n00/pdf/nc006006.pdf

*8:国立大学の学科及び課程並びに講座及び学科目に関する省令(昭和三十九年二月二十五日文部省令第三号) http://law.e-gov.go.jp/haishi/S39F03501000003.html

*9:以前にも引用していますが、コロンビア大学のコアカリキュラムについての記事が参考になります。http://d.hatena.ne.jp/adawho/20100205/p1 http://d.hatena.ne.jp/adawho/20100206/p1 http://d.hatena.ne.jp/adawho/20100211/p1

*10:「卒業認定・学位授与の方針」(ディプロマ・ポリシー),「教育課程編成・実施の方針」(カリキュラム・ポリシー)及び「入学者受入れの方針」(アドミッション・ポリシー)の策定及び運用に関するガイドライン平成28年3月31日 大学教育部会) http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/houkoku/1369248.htm

*11:高大接続の答申から考える大学の評価に関する人材ついて(大学アドミニストレーターを目指す大学職員のブログ) http://as-daigaku23.hateblo.jp/entry/2014/12/23/094149