Clear Consideration(大学職員の教育分析)

大学職員が大学教育、高等教育政策について自身の視点で分析します

アルファベットから始める大学は、大学としての機能を失っているのか?大学の機能分化についての私見

high190です。
ここ最近、Web上で大学のシラバスにアルファベットから始める大学があるとして注目を集める大学があります。千葉県にある日本橋学館大学です。
この大学に対しては、様々な声が寄せられているようですが、このような取り組みはどのように評価すればよいのでしょうか。


大学のホームページで「アルファベットの書き方」「分数の計算」「原稿用紙の使い方」といった授業のカリキュラムを公開した日本橋学館大学(千葉県柏市)が話題を呼んでいる。入試の偏差値は30台で、一部週刊誌には「バカ田大学」とまで書かれたほどだが、学力低下が著しい日本の大学生の実情を正面から受け止めた英断と称賛する声もある。日本の大学教育の現状に一石を投じた同大の横山幸三学長を直撃した。
日本橋学館大では1年生を対象に、「アルファベットの書き方・読み方」などのカリキュラムを実施。教材は「学研ニューコース 中学(1−3年)英文法」といった中学生向け参考書だ。
同様に、数学も「小数の計算」「分数の計算」「比例・反比例」といったカリキュラムが並ぶ。国語は「正しい仮名遣いと送り仮名の練習」「句読点・表記符号の使い方」といった具合だ。
ただし、これらはいずれも入学直後のテストで点数が低かった学生だけが指導教官の薦めで受講する選択科目。「アルファベットの書き方・読み方」も、最近の中学高校では教えない「筆記体」の話だ。ところが、このカリキュラムをHPで公開したため、ネット上は話題騒然。「高卒のほうがマシだ」「何のために大学行くのか」といった意見が相次ぎ、一部週刊誌が「本当にあった『バカ田大学』」などと報じる騒ぎになってしまった。
思わぬ形で“知名度”を上げた格好だが、こうした声に同大の横山学長は強く反論する。
「批判は甘んじて受けますが、なぜ本学がこのような選択科目を用意したのか。それは、中学高校で(基礎教育が)先送りされてきたツケのためです。本学は、学生を社会に送り出す“最後の砦”として責任を果たします。表面だけをとらえてバカにするのは簡単ですが、これが日本の教育の縮図と考えれば、決して笑ってばかりもいられないはずです」
少子化で、日本の大学はどこも受験生集めに苦労している。日本橋学館大では遠方の受験生に対し、教員が出向いて地元の高校や公共施設などで人物評価を主としたAO入試を実施する「訪問入試」まで行っている。合格判定は、高校の成績や卒業認定基準をもとに行うが、その結果、入学後に冒頭のような“特別授業”を実施せざるを得なくなる。授業にはいずれも、ベテラン教員を配置しているという。
漫画「天才バカボン」のパパが通っていた「バカ田大学」と実情はまるで異なるわけだ。大学ジャーナリストの石渡嶺司氏も次のように言う。
「実際には、日本の大学生の4割は似たような状況。上位校でも推薦やAO入試で入った学生は、日本橋学館大を笑えないでしょう。体裁を気にして、こうした授業を正規のカリキュラムの枠外でこっそり行う大学が多い中、むしろよく決断したと称賛してもいいくらいです。学生や親御さん、出身高校からは必ず感謝されるはずです」
同大では、入学後の必修ゼミも「履修指導(時間割を作ってみよう)」「親睦球技大会(仲間と汗を流そう)」「学生生活マナー(授業の受け方、ノートの取り方)」と、まさに手取り足取りだ。少々甘やかしすぎの感もあるが、横山学長は「学生が居心地良く、生き生きと大学時代を過ごすためにバックアップしているだけ」と胸を張る。
同大の学生も、今回の騒動を気にかけている様子はない。「偏見を持つ人の評価は気にしない」「日々の学校生活が充実しているから、何を言われても気にしない」「学歴コンプレックスがある人ほど、バカにするんじゃないですか」と、総じて前向きだ。
こうした学生の“評価”に、横山学長も自信を深めている。
「私は長らく筑波大で教鞭を執ってきましたが、本学の学生は非常に素直で何事にも意欲的。卒業生も愛校心が強く、今回の騒ぎでも動じることはありません。歴史は浅いですが、本学を笑った人たちには、4−5年後を見ていろと言いたい。派手さはなくとも、世間の中堅層を担う多くの良質な人材を送り出してみせます」

上記の記事をご覧になっていかがでしょうか?
私の感じた点としては、この大学はミッションが非常に明確になっているということです。学長自らが「世間の中間層を担う良質な人材」を送り出すと明言できる大学はそうありません。実際には学内でも優秀な学生の情報だけを公表して学生募集を行ったり、就職実績として記載する企業にもバイアスがかかっていることがほとんどだったりします。そういった意味では、大学ジャーナリストの石渡さんが言うように誰もこの大学を笑えないはずなのです。
しかしながら、こういった批判が起こる原因はどういったことなのでしょうか。私は大学に対する社会の期待が現在の社会状況を反映していないからではないかと思っています。既に大学全入時代を迎えている中で、大学の機能分化については平成17年に公表された中教審答申「我が国の高等教育の将来像」の中で言及されています。

高等教育の多様な機能と個性・特色の明確化

新時代の高等教育は,全体として多様化して学習者の様々な需要に的確に対応するため,大学・短期大学,高等専門学校,専門学校が各学校種ごとにそれぞれの位置付けや期待される役割・機能を十分に踏まえた教育や研究を展開するとともに,各学校種においては,個々の学校が個性・特色を一層明確にしていかなければならない。
特に大学は,全体として

    1. 世界的研究・教育拠点,
    2. 高度専門職業人養成,
    3. 幅広い職業人養成,
    4. 総合的教養教育,
    5. 特定の専門的分野(芸術,体育等)の教育・研究,
    6. 地域の生涯学習機会の拠点,
    7. 社会貢献機能(地域貢献,産学官連携,国際交流等)

等の各種の機能を併有するが,各大学ごとの選択により,保有する機能や比重の置き方は異なる。その比重の置き方が各機関の個性・特色の表れとなり,各大学は緩やかに機能別に分化していくものと考えられる。(例えば,大学院に重点を置く大学やリベラル・アーツ・カレッジ型大学等)
18歳人口が約120万人規模で推移する時期にあって,各大学は教育・研究組織としての経営戦略を明確化していく必要がある。

学習機会全体の中での高等教育の位置付けと各高等教育機関の個性・特色

高等教育の将来像を考える際には,初等中等教育との接続にも十分留意する必要がある。その際,入学者選抜の問題だけでなく,教育内容・方法等を含め,全体の接続を考えていくことが必要であり,初等中等教育から高等教育までそれぞれが果たすべき役割を踏まえて一貫した考え方で改革を進めていく視点が重要である。また,より良い教員養成の在り方についても検討していく必要がある。
このため,各大学は,入学者受入方針(アドミッション・ポリシー)を明確にし,選抜方法の多様化や評価尺度の多元化の観点を踏まえ,適切に入学者選抜を実施していく必要がある。また,教育の実施や卒業認定・学位授与に関する方針(カリキュラム・ポリシーやディプロマ・ポリシー)を明確にし,教育課程の改善や「出口管理」の強化を図ることも求められる。
生涯学習との関連でも,高等教育機関は履修形態の多様化等により,重要な役割を果たすことが期待される。

大学が機能分化していく過程で必要になってくるのが、アドミッション・ポリシー、カリキュラム・ポリシー、ディプロマ・ポリシーの「3つのポリシー」である訳です。このように過去の中教審答申を振り返ってみると、高等教育行政がどういった方向性を志向しているのかが分かります。大学が機能分化するにあたっては、今までの価値観だけでは捉えられない問題に対処していく必要があります。
日本橋学科大学の横山学長は「中学高校で(基礎教育が)先送りされてきたツケ」に対して、「本学は、学生を社会に送り出す“最後の砦”として責任を果たします。」と述べていますが、大学レベルで中等教育の復習を行わなければいけないのは、中等教育と高等教育の接続がうまくいっていないことの証であると私は考えます。むしろ、大学が本来行うべき教育を行えない現状にこそ、問題があるのではないでしょうか。
大学は高等教育機関として社会に接する「最後の砦」です。だからこそ、しっかりとした基礎教育を施して社会に送りだす責任を果たそうということに意義があります。今後、大学の機能分化はさらに進むでしょうが、学長がこうしたメディアで自学の教育についての批判についてしっかりと反論を出来ることだけ、ミッションを明確にしている大学があるということは心に留めておきたいと思います。