Clear Consideration(大学職員の教育分析)

大学職員が大学教育、高等教育政策について自身の視点で分析します

教育と経済学の関係について

high190です。
私が普段購読しているWebマガジンにWired Visionがあります。

経済、IT、環境、メディア、カルチャーなどなど非常に幅広くのテーマを扱い、かつ質の高い記事がたくさん発表されています。文才のない私にとっては執筆者陣の論理的かつ分かりやすい文章を見ると、まだまだ自分のブログの改善点はたくさんあるんだと痛感させられます。

宇沢は、そのような学校教育制度の激変を詳しく分析したものとして、サミュエル・ボールスとハーバート・ギンタスという二人の経済学者の研究を高く評価している。彼らは、アメリカの教育について実証研究を積み上げることで、ぶっちゃけていえば、「学校制度は、平等化機能を果たすどころか、不平等を助長してさえいる」、という実に過激な主張をしたのである。つまり、「子どもの学歴や成人後の成功は、親の社会的地位に最も大きな正の相関を持ち、IQテストの成績や子どもの実質的能力とはほとんど無相関である」、ということを言ってのけたのだ。その上で彼らは、「対応原理」というものを打ち出している。それは、学校教育が、企業社会的な関係性と1対1に対応し、いわば「社会の縮図」になっている、という原理である。例えば、統計的な検証によって、「学校において数学や語学の成績がいい、ということは、創造性や積極性や独立心とは負の相関を持ち、反対に、従順であることや帰属意識の強さと正の相関を持っている」ということが示される。つまり、学校における「成績の良さ」は、決して、クリエイティブな性向を意味するものではなく、むしろ、企業に就職したときに「いかに従順に忠誠を誓い企業戦士となれるか」を表すものだ、ということである。この「対応原理」は、かなり衝撃的な指摘であるといえよう。学校は、「エソテリックな知識」を培うどころか、単なる「企業のしもべ」に堕していることが明らかにされたのだから。

何となく感じたのですが、この記事を執筆されている小島寛之氏は東京大学理学部数学科を卒業後、同大学院経済学研究科で学んでいます。これは記事でも出てくる日本の著名な経済学者、宇沢弘文氏のキャリアに重なるものがあります。
それにしても、学校制度は不平等を助長する…この考え方は私にとっても馴染みのないものです。ただ、読んでいてクリエイティブ・クラスという言葉のことが頭に浮かびました。自分のキャリア設計に関心があり、高い成果を生む人々。
サミュエル・ボールスとハーバート・ギンタスの指摘が正しいのなら、学校ではクリエイティブな人材を育成することはできず、あくまでも企業社会に適合する人材を送り出しているに過ぎないと。私がいま大学職員として働いていて、なるほど、と思う指摘です。大学側はあくまでも大学としての就職・キャリア相談に乗ることしかできていません。
つまりは当人が人生をどうやって歩むべきかという問題を解決できる環境(考え方など)を整備していない。そうなると、ますます企業社会に適合する人材を送り出す役割だけを担っていることになる…学校は何のための装置か?という小島氏の問い、私にとっても今後の大きなテーマになりそうです。

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