Clear Consideration(大学職員の教育分析)

大学職員が大学教育、高等教育政策について自身の視点で分析します

古きよき時代の大学

high190です。
私の勤める大学でも古参の先生方は、古きよき時代の大学をよく知っています。また、同時に大学の歴史や過去の学生の傾向なども色々と聞いてみると、なかなか面白い発見があったりします。
現在は大学全入時代に突入、有名なトロウ・モデルでいうところの「ユニバーサル・アクセス型」に移行していますが、大学進学率が低かった時代にはいまでは考えられないようなことも大学であったみたいですね。教員も昔は随分違ったようです。

わたしの大学生時代はいまから40年以上前のこと。「レジャー」という言葉が流行(はや)り、インスタントラーメンが普及しはじめていた。豊かな日本がはじまりかけた時代である。
大学進学率は12%程度。いまの進学率の4分の1。当時の大学教授のほとんどは旧制の大学卒だった。そのせいか、キャンパスには奇人変人教授がうようよしていた。
雨の日は必ず休講にしてしまう先生。試験中に問題の説明をしながら、興にのりすぎて、解答までベラベラ喋(しゃべ)ってしまう先生。
人前で話すのは恥ずかしいといって、授業中1度も学生のほうをみずに、窓かドアのほうだけをみて講義する超シャイな先生。
授業の中ほどになると、喫煙時間と称して、煙草を、それもシケモク(1度吸った煙草ののこり)をすい、「これがうまいんだなあ」と至福の表情をする先生。
そんななかに、ホトケのWとして慕われていた教授がいた。
単位が足りなくなると、学生はW先生の研究室を訪ねる。先生は説教がましいことはなにもいわない。単位をあげるかわりにリポートをかきなさいなどという要求もしない。先生はただつぎのことだけをいう。
「よろしい。わかりました。で、何点ほしいのですか」
たいがいの学生は合格点ギリギリの60点をおそるおそるいってみる。学年末になると成績表にはちゃんと「可」がついている。
わたしの友達に剛の者がいた。W先生の「それで何点ほしいのですか」という問いに「70点お願いします」といったのである。
60点は可であるが70点だと1ランク上がって「良」になる。しかしこの、どあつかましい申し出もそのままとおり、学年末の成績表には「良」がついていた。
もし学生が90点くださいといったら、どうなったのだろうか。
90点つけてくれたのだろうか。それとも、「ずにのってこのバカモノ」、とおこりだしたのだろうか。いまだに謎である。
あれから四十数年。キャンパスには奇人変人教授はほとんどいなくなった。
しかし、学年度末になると単位が不足する学生が研究室にあらわれるのは昔も今も変わらない。
こんなときわたしは、こういうことにしている。「よろしい。わかりました」
それまでおずおずとしていた学生の顔に笑みがさす。そこでいう。
「しかし、試験も受けないで単位がとれていることが発覚すると、新聞にものるかもしれません。ワイドショーのリポーターも追いかけてくるかもしれません。わたしの残りの人生は、少ないですが、君はこれから長いですね。若いのに気の毒なことになるかもしれませんが……」
学生はそそくさと研究室をでていく。わたしは、してやったり、とニヤリとする。
しかし、あのW先生をおもいだしながら、一抹のさびしさを感じてしまうのである。「奇人」教授は「貴人」教授だったのだ、とおもいながら……。

奇人変人教授・・・確かに成績評価など、いまだったら大問題になっているようなことでも結構おおらかに対応していたんですね。規則は守らなければいけませんが、おおらかな感じでこんな大学像っていうのも魅力的だなと思います。